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大阪地方裁判所 平成元年(行ウ)27号 判決

原告

巻木キヨミ

右訴訟代理人弁護士

上山勤

海川道郎

森下弘

被告

天満労働基準監督署長村上智之

右訴訟代理人弁護士

上原理子

右指定代理人

野中百合子

重田紀昭

山田勇

平山昭

弥氏絋一

増田悦子

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告が原告に対して昭和五七年一二月二二日付けでした労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)に基づく遺族補償給付及び葬祭料を支給しないとの処分を取り消す。

第二事案の概要

本件は、原告が、被告に対し、その亡夫巻木一水(以下「亡一水」という。)の死亡に関し、労災保険法に基づく遺族補償給付及び葬祭料の支給を請求したところ、被告が、右死亡は業務に起因するものではないとして、これを支給しないとの決定をしたため、右死亡が業務に起因することは明らかであり右決定が違法であると主張して、その取消しを求めた事案である。

一  争いのない事実

1  亡一水の死亡

亡一水は、原告の夫であり、訴外近畿保安警備株式会社(以下「訴外会社」という。)に勤務して、学校警備、保安の業務に従事していたが、昭和五六年三月八日午後一一時ころ、大阪府立泉大津高等学校(〈住所略〉)(以下「泉大津高校」という。)における警備業務に従事中左脳内出血を起こして倒れ、翌三月九日午前七時ころ、意識を失って倒れているところを発見されて救急車で岸和田徳洲会病院へ搬入され治療を受けたが、同月一〇日午前九時五〇分、左脳内出血により死亡した。

2  本件処分

原告は、昭和五六年九月二八日、被告に対し、亡一水の死亡が業務上の災害であるとして労災保険法に基づく遺族給付及び葬祭料の支給を請求したが、被告は、昭和五七年一二月二二日、亡一水の死亡が業務に起因するものではないとしてこれを支給しないとの決定(以下「本件処分」という。)をした。

このため、原告は、大阪労働者災害補償保険審査官に対し、本件処分についての審査請求をしたが、同審査官は、昭和五九年一一月二日、右請求を棄却する旨の決定をした。

このため、原告は、労働保険審査会に対し、再審査請求をしたが、同審査会は、平成元年二月一五日、右請求を棄却する旨の裁決をし、右裁決は、同月二五日、原告に対して告知された。

二  主たる争点

亡一水の死亡が業務に起因するか。

(原告の主張)

亡一水の死亡は、業務に起因するものである。

1 業務起因性が認められるためには、業務が発症の最有力の原因である必要はなく、業務が、発症の相対的に有力な原因であるか、又は基礎疾患と共働原因となって基礎疾患を増悪させその結果発症に至れば足りると解すべきである。

被告は、業務起因性を認めるには、日常業務に比較して特に質的若しくは量的に過重な業務に従事したことを要すると主張するが、右主張は誤りであり、その過重負荷が発症一週間前になければならないと主張する点にも合理性がない。

2 亡一水は、高血圧症という既存の疾患を有し、これが左脳内出血の素因になったとはいえ、以下のような過重な業務により急速に蓄積された疲労とストレスがその基礎疾患を急激に増悪させ、左脳内出血を発症させたものである。

同人の学校警備業務は、民間施設の業務と比べても多大の肉体的負担、精神的緊張を伴うものである。すなわち、同人は、夜間一人で遂行する夜間巡視など相当な精神的緊張を伴う業務を遂行していた上、通常の警備業務以外に、無許可在留者の校外退去の確認、外部からの連絡問い合わせ、伝言依頼、出入業者などへの応対、施設の目的外使用への対処、施設故障の処理などの業務を日常頻繁に遂行し、しかも、その遂行方法には教育現場にふさわしい配慮が要求された。また、同人の勤務は、夜間労働が多く拘束時間が長い上、毎月の労働時間が五〇〇時間近くにも及び、平日の昼間八時間のみ勤務から解放されるという状態であった。しかも、訴外会社は、昭和五一年一二月九日、労働基準法四一条三号の許可を取り消されたにもかかわらず、同法に違反して同人をその死亡前三三日間も連続勤務させ、その間、拘束時間が平日一五時間三〇分、土曜日二〇時間、日曜祭日二四時間で合計五八五時間に及び、自然時間の七三・八六パーセントを占めた上、仮眠時間があっても拘束下の仮眠であって疲労の回復をはかることが困難であった。その上、発症直前には、一年間で最も学校警備業務が多忙な時期に当たり、体育館の修理による業者の出入り、学校開放日の連続、水道管の破裂などの通常業務を超える過重な業務が加わった。同人は、このような精神的緊張が継続的又は断続的に必要とされる事態となったため、その基礎疾患が急速に増悪されて左脳内出血を発症したものである。したがって、その発症と同人の業務との間に相当因果関係が認められる。

3 また、亡一水は、一人で勤務していたため、昭和五六年三月八日午後一一時ころに倒れてから、翌朝出勤した職員に発見されるまで、昏睡状態のまま、宿直室のコンクリート床上に八時間余も放置され、この間、寸刻を争ってされるべき脳浮腫、脳圧こう進への対策、止血などの適宜の救命措置が採られなかったため死亡に至ったものである。また、脳出血により寒冷等の外的条件の変化に対する防衛反応が低下、喪失している状態では、気道の感染が起こりやすく、また、昏睡状態では反射の減退により吐物が気道に侵入し、その結果気道の閉塞や感染が起こりやすいところ、亡一水の場合も、誤嚥による嚥下性肺炎の合併が強く疑われ、これが同人の死亡を早めたか直接の死因となった可能性が高い。

したがって、同人の業務と同人の死亡との間には相当因果関係が認められる。

(被告の主張)

亡一水の死亡は、同人の基礎疾患である高血圧症により業務遂行中に本件脳出血が偶発したにすぎず、業務起因性はない。

1 業務起因性が認められるには、業務と疾病との間に条件関係があることを前提とした上で、労災補償の法的性質、制度的特質、労働基準法、労災保険法の立法趣旨等にかんがみ、業務と疾病との間に労災補償を認めるのを相当とする関係(相当因果関係)の存在を必要とするというべきであり、業務上の事由以外に有力な要因が認められる場合には、他の要因に比較して業務上の事由が質的に有力に作用したと認められたときについてのみ、相当因果関係があると認めるべきである。そして、有力に作用したか否かの判断は、当該業務が当該疾病を生じさせる具体的危険を内在させているか否かという観点からすべきである。

2 脳血管疾患及び虚血性心疾患は、基礎となる動脈硬化等による血管病変又は動脈瘤、心筋変性等の基礎的病態が加齢や一般生活等における諸種の要因により増悪し、発症に至るものがほとんどであり、業務自体が血管病変等の形成に当たって直接の要因とはならない。

したがって、その業務起因性が認められるためには、発生状態を時間的場所的に明確にし得る異常な出来事(業務に関する出来事に限る。)に遭遇したこと若しくは日常業務に比較して特に過重な業務に就労したことのいずれかにより、業務上明らかな過重負荷を発症前に受け、過重負荷を受けてから症状の出現までの時間的経過が医学上妥当なものである必要があり、脳出血の場合には、発症前一週間以内の業務による負荷が発症に影響を及ぼすといわれているので、右期間の業務内容を重視すべきである(昭和六二年一〇月二六日基発第六二〇号「脳血管疾患及び虚血性疾患等の認定基準について」)。そして、過重な負荷があったといえるためには、右業務が、労働者の個体差にかかわらず、一般の労働者にとって脳血管疾患が発生してもおかしくないような危険性、有害性を帯びたものでなければならない。

3 亡一水の日常業務は、拘束時間が長いものの実働時間が短くその内容も軽作業であって、特段の労力や長時間の作業を要するものではなく、右業務により同人が受ける精神的肉体的負担は決して過重なものではない。そして、同人の発症一週間前の校庭開放、体育館窓枠取替工事のための業者の出入り、水道管破裂による漏水などの業務は、同人にとって初めて経験した種類のものではなく、特に緊張を要するものでもないのであって、結局、右期間における業務も、通常の業務に比較して労働時間が増加したり、労働密度が濃厚になったわけでもなく特に過重な精神的肉体的負荷を与えたものとはいえない。

また、亡一水は、死亡前三三日間連続勤務をしているが、その間の業務内容は日常的業務であり、特に過重とはいえない。

なお、ストレスと脳血管疾患との関連性については、その関与を推測する学者も多いが、人間について信頼すべき文献に乏しく、医学的定見のない状態であり、本件業務による慢性疲労、ストレスが本件疾病の原因であるとの原告の主張は、医学的定見に反するもので、採用できない。

4 亡一水が死亡したのは、治療行為の開始が遅れたためではなく、同人の病勢自体に起因するものであり、原告主張のように一人勤務体制という業務遂行態様が被災者の発見を遅らせた結果、手遅れになり、死亡に至ったものではない。

なお、原告は、亡一水が長期間冷たい土間に放置されたため肺炎を起こし、肺炎による呼吸困難により死亡したとも主張するようであるが、同人は肺炎にり患していない。

また、亡一水の勤務体制は、職場に一人しかいない他の通常の勤務環境ととりたてて変わるところはなく、本件のように、脳出血の発症から七、八時間経過後に発見されるという事態は日常生活の場でも少なくない。

三  証拠

記録中の証拠に関する目録記載のとおりであるから、これを引用する(略)。

第三争点に対する判断

一  前記争いのない事実及び証拠(〈証拠・人証略〉)によれば、以下の事実が認められる。

1  亡一水の業務(〈証拠・人証略〉)

(一) 亡一水(昭和七年一二月生)は、昭和五一年六月、訴外会社に入社し、以後泉大津高校に警備員として勤務していた。

(二) 訴外会社は、昭和五六年三月一日現在、大阪府立高校一二三校を含む一三四箇所に従業員を派遣して警備業務を営んでおり、そのため派遣警備員一四五名(その外補充員二一名)を雇用していたが、右警備員の約七割が六〇才前後であり、七〇才を超える者もあったが、短期間で退職する者はほとんどなかった。

(三) 訴外会社は、大阪府教育委員会との間で大阪府立学校警備業務委託契約を締結して学校警備業務を遂行していた。右契約で約定された警備業務は、おおむね次のとおりである。

(1) 警備員は、一校に一人常駐させ、必要な器具、器材を常置する。

(2) 常駐警備を行う時間は、以下のとおりとする。

平日 一七時から翌日八時三〇分まで

土曜日 一二時三〇分から翌日八時三〇分まで

日祭日 八時三〇分から翌日八時三〇分まで

(3) 業務内容は、次のとおりとする。

イ 学校職員の勤務時間終了後、最終退出者を確認の上、校内全般の戸締りを点検し、校門及び管理棟の最終出入口の施錠を行う。

ロ 大阪府教育委員会の定める場所について、次のとおり巡回時計を携行して巡視し、戸締り火気等に注意する。

巡視時間区分 巡視回数

八時三〇分から一二時三〇分まで 一回

一二時三〇分から一七時まで 一回

一七時から二三時まで 二回

(ただし守衛的業務に携わる場合は一回)

六時三〇分から八時三〇分まで 一回

ハ 警報装置の作動開始及び作動解除を行う。

ニ 翌朝、校門及び管理棟の最終出入口の開錠を行う。

ホ 外来文書、電報を収受し、電話の応対を行う。

ヘ 火災、盗難等異常事態が発生したときは、直ちに関係機関及び校長に連絡するとともに、臨機の措置を採る。

ト 校内で無断立入者又は挙動不審者を発見したときは、校外への退去を命ずるとともに、必要な措置を採る。

チ 学校施設の目的外使用等の場合は、使用後、戸締りを点検するとともに、火気等に注意する。

リ 学校警備業務日誌を記録する。

ヌ その他、パトロール業務、警報業務を行う。

(四) 亡一水の泉大津高校における勤務も右の契約に従って行われ、具体的な勤務内容及び勤務時間は、以下のとおりであった。

なお、同校は、敷地面積三万二五〇〇平方メートル、建物延面積一万九〇〇平方メートルの規模を有し、本館(鉄筋コンクリート二階建)、特別教室棟(同四階建)、普通教室棟(同三階建)、体育館(同二階建)、同窓会館(同二階建)から成っていた。

(1) 平日

午後四時三〇分ころ出勤し、本館警備員室に荷物を置き、出勤確認のため事務室に行った後、次の業務を行う。

イ 本館、事務室、校長室などの施錠

事務職員の最終者が帰宅する時、亡一水が、電話連絡を受け、両者立会いの下に本館、事務室、校長室などの施錠を行い、同時に校内異常箇所の伝達を受ける。

ロ 職員室の施錠

教頭が、帰宅する時、警備員室に部活動残留届、同窓会館使用許可申請書、施設使用許可書等を持参し、亡一水が、これを受け取るとともに、特別教室棟二階の職員室の施錠を行う。

ハ 校内見回り

特別教室棟、普通教室棟全部の廊下、教室の窓の閉め忘れ、電灯の消忘れなどを見回り、一階廊下扉一一箇所の施錠を行う。

ニ 規定巡視

巡回時計を携行して校内を巡視する。打刻場所は、体育館横、女子更衣室、油倉庫の三箇所であり、巡視回数は次の三回で、一巡約三〇ないし四〇分である。

第一回 午後七時三〇分ころから

第二回 午後九時三〇分ころから

第三回 午前六時ころから

第一回目の巡視で、南門、北門、東門の施錠を行い、第三回目の巡視で特別教室棟、普通教室棟一階廊下扉一一箇所の開錠、南門、北門、東門の開錠を行う。

ホ 電話の応対

午前八時ころから午前八時三〇分まで事務室で教職員、生徒からの欠席の連絡電話の応接を行い、事務職員に伝達する。

ヘ その他

警備日誌の記入、警報装置の作動開始、作動解除、正門の施錠開錠、同窓会館使用時の鍵の受渡し業務を行っている。

(2) 土曜日

正午過ぎに出勤して警備員室に荷物を置き、技術職員と引継ぎを行い、出勤確認のため事務室に行った後、業務を行うが、次の点以外、勤務内容は平日と同じである。

イ 電話の取次ぎ

午後一時前から事務室に行き、事務職員が帰る午後一時三〇分ころまで電話の取次ぎや生徒が来たときの応対をする。

ロ 生徒の呼出し

午後一時三〇分から警備員室で待機して、生徒や父兄からの電話の応対を行い、呼出しの依頼があったときは現場まで呼びに行く。頻度は、多い日で四、五回、少ない日で二回程度である。

ハ 規定巡視

巡視回数が次の四回となる点以外は、平日勤務と同じである。

第一回 午後三時三〇分から

第二回 午後七時三〇分から

第三回 午後九時から

第四回 午前六時から

なお、第二回巡視の際、南門、北門、東門の施錠を行う。

(3) 日曜、祝日

日曜日は土曜日から、祝日は前日午後五時から休日の翌日の朝までの連続勤務となる。なお、電話の応対、警備員日誌の記入、警報装置の作動開始と解除、正門の施錠と開錠、同窓会館使用時の鍵の受渡しに関する勤務内容は、平日と同じである。

イ クラブ活動

前日までに部活動残留届けの提出があったクラブの生徒が通行する廊下の出入口のみを開錠する。

ロ 目的外使用

学校開放日は、管理指導員日誌の受渡しを行い、本館北側廊下下扉のみを開錠する(学校開放日は、生徒の部活動は休みとなる。)。

ハ 規定巡視

巡視回数が以下の五回となる点以外は、平日勤務と同じである。

第一回 午前一一時三〇分から

第二回 午後三時三〇分から

第三回 午後七時三〇分から

第四回 午後九時三〇分から

第五回 午前六時から

第五回巡視の際に特別教室棟、普通教室棟一階廊下扉一一箇所と南門、北門、東門の開錠を行う。

(4) その他の業務

亡一水は、以上の外、学校へ納品された物の時間外の収受、父兄などからの時間外の電話の応対なども随時行うことがあった。

(5) 人員、警備装置等

同校における常駐派遣警備員は一名であったが、本館警備員室の畳の間に警報装置が設置されており、その端末感知機が事務室、校長室、保健室、職員室、図書室、化学準備室、警備員室に接続し、訴外会社警備本部と連動している。

学校警備員が勤務中身体に異常が発生した場合、訴外会社の労務配置係又は管制室に電話連絡をすれば、その状況により補充員を派遣して勤務を交代させ、午後一〇時以後のときは、パトロール隊員二名が急行して、一名が代勤し他の一名が応急措置や病院への搬送等を担当する体制となっていた。

なお、各パトロールは無線を設備し、各パトロール隊員はポケットベルを携行している。

(6) 亡一水の睡眠時間

亡一水は、各勤務日において、最終巡視の終わる午後一〇時ころから翌朝の巡視を行う午前六時までの間、特になすべき業務はなく、少なくとも、午後一〇時三〇分ころから翌日の午前五時三〇分ころまで約七時間程度の仮眠を取ることが可能であり、また、午前八時三〇分までの勤務時間を終え帰宅した後、平日午後四時三〇分の勤務開始までの間に自宅で睡眠を取ることも可能であり、在宅中に必要に応じて睡眠を取っていた。

(7) 亡一水と教職員、生徒との関係

亡一水は、同校に約五年勤務しており、生徒からも慕われ、教職員とも良好な人間関係を築いていた。

2  亡一水の死亡前の業務内容(〈証拠・人証略〉)

亡一水の死亡前の勤務内容も1と同様であるが、他に以下の事実が認められる。

(一) 訴外会社は、警備員の公休日を月五日としていたが、各警備員についていずれの日を休日とするかを予め定めておらず、本人の希望により予定日の一か月前までに労務配置係へ電話又は郵便で連絡させてこれを与える方法を採っており、また、病気等緊急の場合には、当日電話連絡で休日を与え、交代要員を派遣していた。

しかし、訴外会社の従業員には、より多くの賃金を得るため、右公休日に休みを取らない者も少なくなく、亡一水も、昭和五六年二月四日以降同年三月八日まで三三日間休みを取らずに勤務していた。

(二) 日曜日の校庭開放が同年二月二二日、三月一日、三月八日と三週間連続して実施された。

泉大津高校の校庭開放は、泉大津市ソフトボール連盟が試合場として使用しており、大阪府教育委員会が任命する二名の管理指導員の指導監督の下で、運動場二面を常時約六〇名、一日合計一五〇名から二〇〇名が使用するものである。また、参加者が校内の電話を使用することは禁止され、亡一水が、参加者への電話の取次ぎや呼出しをしたことはなく、校庭へ様子を見に来ることもなかった。なお、この三日についても同校の部活動は行われなかった。

(三) 同年二月二八日に同窓会館横の生徒手洗場の水道管が破裂し、亡一水と同校事務員別府和幸が応急修理を試みたが果たせず、同年三月三日の応急修理後も完全には漏水が止まらず、同月二四日に水道業者により修理が完了した。

(四) 同年一月二三日から同年三月八日にかけて体育館改修工事が行われ、工事関係者が出入りしていた。

(五) 同年三月ころ、校内とその周辺に数匹の野犬が徘徊していたが、右野犬は、警備員に出会うと逃げ、過去に生徒をかむなどの事故も発生していない。

(六) 同年二月二八日から三月五日まで学年末試験が実施され、試験前、試験期間中を通じて生徒や教員の居残りが多く、また、試験終了後は部活動が活発化した。

3  亡一水の健康状態(〈証拠・人証略〉)

(一) 亡一水は、昭和五一年入社後、訴外会社における昭和五二年三月一一日定期健康診断において、身長一六九・三センチメートル、体重八一・五キログラム、最大血圧一六六、最小血圧一一二で既に高血圧症が認められ、昭和五三年三月二三日の定期健康診断においては最大血圧一四一、最小血圧八七で心肥大を指摘され、昭和五五年一〇月二日の定期健康診断においては、身長一六八・五センチメートル、体重一〇一・〇キログラム、最大血圧一六〇、最小血圧一一〇であり、高血圧を注意されている。

(二) 亡一水は、昭和五五年五月一二日から同年六月一二日まで、血痰を訴えて重信内科で重信医師の診断治療を受けた。亡一水の状態は、最大血圧が一六八、最小血圧が一〇八であったほか、肥満、心肥大、大動脈硬化、高脂血症も認められ、同医師は、亡一水に対し、高血圧症と気管支拡張症として、降圧剤、抗生剤、止血剤を投与したが、高血圧のコントロールが困難な状態にあると診断した。

(三) 訴外会社は、昭和五五年に警備員の冬季用制服を新調したが、亡一水のためにも同年七月の採寸に基づいて肥満体別注サイズで縫製した制服を同年一〇月に同人に交付したところ、同人が採寸後に肥満したためズボンの腰回りが約一〇センチメートル小さくなっていた。訴外会社の常務取締役斉藤庄吉は、これを知って、亡一水に対し、二、三か月の間に一〇センチメートル腰回りが増加するほど急速に肥満したことが心配であるので医師に相談するように助言した。また、亡一水は、昭和五六年二月ころにもズボンが窮屈になったため、買い直した。

(四) 亡一水は、昭和五五年七月以降、高血圧症等前記の症状について医師の治療を受けていない。

(五) 亡一水は、自宅で一日平均一合程度の飲酒をしていた。

4  亡一水の発症から死亡までの経緯(〈証拠・人証略〉)

亡一水が昭和五六年三月八日午後一一時ころ泉大津高校の警備業務に従事中左脳内出血を起こして倒れ、同月一〇日午前九時五〇分、左脳内出血により死亡したことは前記のとおりであるところ、右発症後死亡に至る経緯は以下のとおりである。

(一) 同校教諭藤岡一夫は、同月九日午前七時一五分ころ、登校したが、通常開扉されている校門が施錠されたままであったことから不審に思って校門を乗り越えて警備員室に行き、亡一水がコンクリート土間にうつ伏せに倒れているのを発見した。顔の下には嘔吐物があり、同人は失禁して仕事着の下半身が濡れていた。藤岡教諭は、亡一水が意識不明の状態であったため、救急車を呼んだ。

(二) 亡一水は、同日七時三二分、岸和田徳州会病院に収容された。亡一水は、昏睡状態で刺激を加えると開眼する程度である二〇(手を握れと言うとそれができる状態)ないし三〇(かなり強い刺激を与えれば覚醒する状態)の意識レベルであり、両肺野にラ音が聴取され、頭部CT検査により左脳内の広い範囲に多量の出血が認められた。そして、同人に外傷はなく、入院時の血圧は、最大血圧が二〇六、最小血圧が一二〇であり、血液検査の結果、その動脈硬化が相当程度進行していることが判明した。

(三) 同人に対し、ステロイド、グリセオール等が投与されたが、入院一〇時間後に呼吸困難が頻発し、気管挿管を行って呼吸管理をした。その後、同人は、発熱が続き、翌一〇日午前二時四五分に心停止し、その後心臓マッサージ等により鼓動を始めたものの、同日午前七時一〇分、再び心停止し死亡するに至った。なお、死亡直後の同月一〇日の血液検査の結果、白血球数(WBC)が六六〇〇であった。

5  亡一水の死亡と業務との関係についての各医師の意見

(一) 田尻俊一郎医師の意見書(〈証拠略〉)

同医師の昭和五七年六月一四日付け意見書には、概略以下のような記載がある。

亡一水の労働は、拘束時間が長く、このような勤務は人間らしい生活を営む余裕がないといえる状態である上、この間の仮眠では睡眠の量と質において不十分であり、このような状況の連続による精神的負担の増大がストレスとして既存疾患である高血圧症に作用した。しかも、同人は、死亡前一か月以上連続勤務をしており、発症前の二月二八日から三月五日までが学年末テストであり、学内が非日常的な様相を呈し、同人の業務に日常と異なった負担増加を与えた上、体育館修理のための業者の出入り、三週連続の校庭開放、水道管破裂事故など日常と異なった業務の加重、量的増加、緊急性のあるアクシデントが発症前に集中して連続している。したがって、このような過酷な労働条件が同人の心身の疲労を招き、蓄積させて、既往症である高血圧症の増悪、進行を来し、合併症である脳出血を惹起したものである。

また、本件では、同人の脳内出血に対する緊急措置が発症後直ちに行われれば、救命も可能であった。しかも、同人には誤嚥による嚥下性肺炎の合併が疑われ、これが死を早めたか、直接の死因となった可能性があるので、一人勤務体制のため、発見が遅れ、三〇時間余りも寒冷下で放置されたことが、同人の死亡に大きな影響を与えている。

同人の死亡は、業務による過重な負担によるものである可能性が濃厚であり、業務起因性が認められるべきである。

また、同医師は、右意見書と同旨の証言をしている。

(二) 白井嘉門医師の意見書(〈証拠略〉)

同医師作成の昭和五七年七月一五日付け「巻木一水氏の脳内出血に就いて」と題する書面には、概略以下のような記載がある。

亡一水は、既往において、重信医院で、高血圧の病歴があり、その時のトリグリセライド値及びコレステロール値が高値を示しており、かなりの高脂血症を有していた。この高脂血症は、動脈硬化の原因となり得るので、脳動脈にも動脈硬化が存在し、破裂損傷を被りやすい状況であって、同人は容易に脳内出血を起こしやすい状態で就労していたものと認められる。就労時間が夜間勤務であり、昼間勤務に比し緊張度が高いと思われ、その脳内出血の直接誘因となった引き金労働は確認し難いが、発見時刻、発見場所等から校内巡視と関連があるものと思われる。しかも、発症前三三日間無休で連続勤務していたことは、疲労の蓄積及び精神緊張においてその発症に何らかの影響を及ぼしあったであろうと医学的に考え得る。

(三) 上江洲朝弘医師の意見書(〈証拠略〉)

同医師が昭和五七年六月二一日付けで大阪労働基準局審査官宛に提出した意見書には、概略以下のような記載がある。

警備員としての業務が高血圧を引き起こすかについては不詳である。コントロールされていない高血圧症を持って通常以上の肉体的精神的状態、業務にあれば、脳卒中が起こり得るが、断定は下し得ない。

(四) 志水洋二医師の意見書(〈証拠略〉)

同医師が昭和五九年二月一〇日付けで大阪労働基準局審査官宛に提出した意見書には、概略以下のような記載がある。

亡一水が、昭和五二年当時の健康診断の際、既に高血圧症が認められ、その後も体重の増加が著しく、昭和五五年には体重が一〇一キログラムと約二〇キログラムの増加が見られ、高脂血症も指摘されていることから、本件脳内出血の原因は、高血圧、肥満、高脂血症及び加齢により進行した脳動脈壊死が勤務中に破綻したものと考えられる。同人は、発症する前三三日間連続して夜間勤務を行っており、この夜間勤務が高血圧症の悪化に影響を及ぼしたことは否定できないが、学校警備勤務は夜間の睡眠時間が十分に与えられており、過激な労働とは言い難く、同人が約五年間同一場所で同一内容の勤務をしており、勤務にかなり習熟していたので、血圧の変動に及ぼす勤務の影響は余り大であったとは思われない。

したがって、同人の死亡は、このような既往症の悪化が勤務中に生じたものであり、業務起因性は乏しい。

二  労災保険法に基づく遺族補償給付、葬祭料の支給がされるためには、労働者が業務上死亡すること、すなわち、その死亡が業務に起因する(以下「業務起因性」という。)と認められることが必要であり(労災保険法一二条の八、労働基準法七九条、同法八〇条)、この業務起因性が認められるためには、単に死亡結果が業務の遂行中に生じたとか、あるいは死亡と業務との間に条件的因果関係があるというだけでは足りず、これらの間にいわゆる相当因果関係が存在することが認められなければならない(最高裁昭和五一年(行ツ)第一一号同五一年一一月一二日第二小法廷判決・裁判集民事一一九号一八九頁参照)。

三  そして、亡一水の死因が左脳内出血であることは当事者間に争いがないところ、原告は、亡一水の左脳内出血は、日常の勤務が加重であった上、三三日間の連続勤務による疲労の蓄積に発症直前に通常業務を超える過重な業務が加わった結果、精神的緊張が継続的又は断続的に必要とされる事態となり、同人の基礎疾患が急速に増悪されて発症したものであり、業務は右発症の相対的に有力な原因又は基礎疾患と共働原因となって基礎疾患を増悪させその結果発症させたものであるので、その発症と同人の業務との間に相当因果関係が認められる旨主張するので、まず、この点を判断する。

1  証拠(〈証拠・人証略〉)によれば、脳出血を発症させる原因としては、高血圧症及びこれに付随する動脈硬化症などによる脳の血管の変化が最も多く関与するものであり、これらを促進させ、あるいは発症の契機となるなどこれに影響を与える要因として、加齢、遺伝、肥満、喫煙、飲酒、糖尿病、精神的心理的ストレス、身体的負荷、寒冷、食塩の摂取などが指摘されており、これらの要因の幾つかが複合し、あるいは相互に影響しあって脳出血を発症させることが多いことが認められる。

そして、前記認定の事実によれば、同人は、本件左脳内出血発症当時四八才であったところ、入社後昭和五二年三月に実施された最初の定期健康診断において、最大血圧一六六、最小血圧一一二で高血圧症が認められ、その後も昭和五三年三月に最大血圧一四一、最小血圧八七、昭和五五年一〇月に最大血圧一六〇、最小血圧一一〇であり、医師から、昭和五三年に心肥大、昭和五五年には高血圧を注意されたこと、同人は、昭和五五年五月から同年六月ころには、重信医師により、高血圧症と気管支拡張症と診断され、降圧剤等を投与しても高血圧のコントロールが困難な状態にあり、高脂血症、大動脈硬化も認められるとの診断を受けたこと、前記の白井医師の意見書(〈証拠略〉)によれば、同人の右高脂血症はかなり進行しており、高脂血症が脳動脈硬化の原因となり得るものであることからすると、同人の脳動脈の動脈硬化は、血管の破裂損傷を被りやすい状況であったものと推認されること、昭和五六年三月八日、同人が徳洲会岸和田病院に収容された際の血液検査の結果によれば、脳動脈を含む動脈硬化が相当程度進行した状態にあったこと、同人は、昭和五五年六月、重信医師の診断と治療を受けた後、本件左脳内出血発症までの間にこれらの症状について医師の治療を受けていないこと、同人は、体重が昭和五二年から昭和五五年の間に約二〇キロ増加し、身長一六八・五センチメートルに対して体重一〇一・〇キログラムという相当な肥満状態となっており、同年七月から一〇月の間に腰回りが約一〇センチメートル増加するなど急速に肥満が進行したことが認められる。

以上の事実に証拠(〈証拠・人証略〉)を総合すれば、亡一水の本件左脳内出血は、高血圧症、肥満、高脂血症と加齢により進行した脳動脈壊死が破綻して発症したものと認められる。そして、右の事実及び証拠を総合すれば、同人は、右発症の約一か月前である昭和五六年二月初めころには、既にその高血圧症、脳動脈硬化と脳動脈の壊死が相当程度進行していたことが推認され、その後の右症状の自然経過のみによっても同年三月八日の本件左脳内出血が発症したとしても不自然とはいえないような症状であったものと推認される。

2  すすんで、昭和五六年二月初めころまでの同人の業務について検討するに、前記認定の事実によれば、同人の勤務は、拘束時間が長く、勤務時間の相当部分が夜間であったことが認められるものの、業務の中心となる作業の内容は、校内の各部屋の施錠、開錠、校内巡視、電話の応対、警備日誌の記入、警報装置の作動開始、解除、鍵の受渡し等であってそれ自体は軽作業といえるものであり、作業時間自体も短いこと、同人は、同校に約五年間勤務しており、その業務内容に習熟し、労働環境にも慣れていたこと、同人は、各勤務日において、最終巡視の終わる午後一〇時ころから翌朝の巡視を行う午前六時までの間、特になすべき業務はなく、少なくとも、午後一〇時三〇分ころから翌日の午前五時三〇分ころまで約七時間程度の仮眠を取ることが可能であり、また、午前八時三〇分までの勤務時間を終え帰宅した後、平日午後四時三〇分の勤務開始までの間に自宅で睡眠を取ることが可能であり、同人は在宅時間中に必要に応じて睡眠を取っていたこと、同人の前記のような業務は、それ自体常に強度の緊張を強いられるものとは認められないこと、同人は、生徒や教職員とも良好な人間関係を築いており、このような人間関係から精神的緊張を受けたことも認められず、ほかに同人が特別に緊張を強いられたような事由も認められないこと、訴外会社に雇用され同人と同様の業務に従事していた警備員の約七割が六〇才前後の者であり、短期間で退職する者もほとんどなかったことからしても、右勤務が四九(ママ)才の原告にとって過重であったとは考え難いことが認められ、以上の事実を総合すると、同人の業務内容は、同人の前記のような基礎疾患を自然的経過を超えて増悪させるほどの肉体的な疲労や精神的緊張をもたらすものであったとは認めることはできず、ほかに右の事実を認めるに足りる証拠はない。

したがって、昭和五六年二月初めころまでの間に同人の業務が右基礎疾患を自然的経過を超えて増悪させたものということはできない。

3  次に、同年二月以降の亡一水の業務について検討するに、前記認定の事実によれば、同年二月二二日、三月一日、三月八日に校庭開放が実施されたこと、同年二月二八日に生徒手洗場の水道管が破裂し、応急修理後も完全には漏水が止まらなかったこと、同年一月二三日から同年三月八日にかけて体育館改修工事が行われ、工事関係者が出入りしていたこと、同年三月ころ、校内とその周辺に数匹の野犬が徘徊していたこと、同年二月二八日から三月五日まで学年末試験が実施され、試験前、試験期間中を通じて生徒や教員の居残りが多く、また、試験終了後は部活動が活発化したことなどの事情が認められるものの、校庭開放、学年末試験の実施は、亡一水が過去も経験し、充分に習熟したものであり、その他の右事情も、亡一水の肉体的疲労、精神的緊張を著しく増加させるものとは認められないこと、などの点を考え併せると、これらの業務も、同人の基礎疾患を自然的経過を超えて増悪させるほどの肉体的な疲労や精神的緊張をもたらすものであったとは認めることはできない。

もっとも、亡一水は、昭和五六年二月四日から三三日間休みを取らずに連続勤務した後、本件左脳内出血が発症したこと、その勤務時間の相当部分が夜間であることが認められるので、左脳内出血発症当時、同人にはある程度疲労の蓄積のあったことが推認されないでもない。

しかし、前記のように、同人の従事した業務の内容が著しく大きな肉体的疲労や精神的緊張をもたらすものではなく、同人は、既に同校で約五年間勤務し、業務の内容にも習熟していたことが認められる上、同人は、各勤務日において、少なくとも、午後一〇時三〇分ころから翌日の午前五時三〇分ころまで約七時間程度の仮眠を取ることが可能であり、また、午前八時三〇分までの勤務時間を終え帰宅した後、平日午後四時三〇分の勤務開始までの間に自宅で睡眠を取ることも可能であったこと、などの点を考え併せると、これらの業務が、同人の基礎疾患を自然的経過を超えて増悪させるほどの肉体的な疲労や精神的緊張をもたらすものであったことを認めるには足りない。しかも、前記のように、同人の基礎疾患が右連続勤務を開始する前の昭和五六年二月ころにはその症状の自然的経過により相当程度悪化しており、その後の自然的経過のみによって本件左脳内出血が発症しても不自然とはいえないような症状であったものと推認されることからすると、本件左脳内出血が発症したことから直ちにその直前の業務内容がその基礎疾患を自然的経過を超えて増悪させたという事実を推認することもできない。

以上の点を総合すると、同人の昭和五六年二月以降に従事した業務が、同人の基礎疾患を自然的経過を超えて増悪させたものとは認めることはできず、ほかに右事実を認めるに足りる証拠はない。

4  1ないし3の事実を総合すれば、亡一水の業務の遂行が、同人の左脳内出血発症について相対的に有力な原因となった事実はもとより、基礎疾患と共働原因となって基礎疾患を自然的経過を超えて増悪させ発症させたものとは認めることはできず、むしろ、亡一水の脳内出血の原因は、高血圧、肥満、高脂血症及び加齢により進行した脳動脈壊死が勤務中に破綻したものであると認めるのが相当である。

5(一)  田尻俊一郎医師作成の意見書(〈証拠略〉)には、前記のように、業務の過重な負担が亡一水の左脳内出血を発症させた可能性が濃厚である旨の記載があり、(人証略)にもこれに沿う供述部分がある。

右意見書及び証言は、亡一水の業務が、常に緊張を強いられるものであり、発症直前の二月二八日から三月五日まで、体育館修理のための業者の出入り、校庭開放、水道管破裂事故など日常と異なった業務の加重、量的増加、緊急性のある業務の連続があったという事実関係をその判断の重要な前提としており、同医師は、主として、原告の訴訟代理人が作成した意見書や亡一水の所属していた労働組合の関係者からの聞取りなどにより、このような事実関係を把握した旨証言する。

しかし、前記認定説示のとおり、同人の業務は、常に緊張を強いられるようなものとは認められず、発症直前の右期間における業務内容も、同人の肉体的疲労、精神的緊張を著しく増加させるものとは認められないので、右意見書と証言は、その前提とした事実関係を異にし採用し得るものではない。しかも、前記認定のように、同人は、既に同校で約五年間勤務し、業務の内容にも習熟していたこと、同人が各勤務日において、少なくとも、約七時間程度の仮眠を取ることが可能であり(同医師も、この仮眠は、質はともかく、時間としてはそれほど不十分なものではなかった旨証言する。)、帰宅後勤務開始までの間自宅で睡眠を取ることが可能であり、同人は、在宅中実際に必要に応じて睡眠を取っていたこと、同人の基礎疾患が昭和五六年二月初めころまでにその症状の自然的経過により相当程度悪化しており、その後の自然的経過のみによって本件左脳内出血が発症しても不自然とはいえないような症状であったものと推認されること、など前記1ないし3の事実並びに(証拠略)(志水医師作成の意見書)及び(人証略)を考え併せると、(証拠・人証略)をもって、同人の業務の遂行が同人の基礎疾患を自然的経過の程度を超えて増悪させて同人の左脳内出血を発症させた事実を認めるには不充分である。

(二)  また、白井嘉門医師作成の意見書(〈証拠略〉)には、亡一水の脳内出血の直接誘因となった引き金労働は確認し難いが、発見時刻、発見場所等から校内巡視と関連があるものと思われ、また、発症前三三日間無休で連続勤務していたことは、疲労の蓄積及び精神緊張においてその発症に何らかの影響を及ぼしあったものであろう旨の記載がある。しかし、同医師自身、脳内出血の直接誘因となった労働が確認し難いことを自認する上、(一)に説示した事実及び証拠に照らせば、右意見書をもって、同人の業務の遂行が同人の基礎疾患を自然的経過の程度を超えて増悪させ、同人の左脳内出血を発症させた事実を認めるには不充分である。

(三)  原告は、学校警備員の業務が警備員の血圧の上昇をもたらすこと及び心身のストレスの原因となることを立証するためとして(証拠略)(第一警備保障株式会社の警備員の巡回警備業務中の血圧・脈拍数の調査報告書)を提出する。しかし、右調査の方法は、自動車に乗り巡回中の警備員の血圧を自動車内で測定したものであり、亡一水の巡回業務とはその態様が大きく異なる上、右調査の対象者の仮眠が車内で行われることもあったのに対し、亡一水は、警備員室で仮眠していたなど業務の環境も同一ではなく、しかも、右調査においても血圧変動の幅について個人差が認められること並びに(一)において説示した点及び証拠に照らせば、右(証拠略)をもって同人の業務の遂行が同人の基礎疾患を自然的経過の程度を超えて増悪させ、同人の左脳内出血を発症させた事実を認めるには不充分である。

(四)  なお、(証拠略)によれば、訴外会社は、昭和四三年六月三日、監視に従事する者に対する適用除外許可(労働基準法四一条三号参照)を得たが、昭和五一年一二月九日、右許可を取り消されたことが認められ、昭和五六年当時右許可を再び得ていたことを認めるに足りる証拠がないのであるから、亡一水に前記のような連続勤務をさせたことは、同法に違反するものというべきである。また、(証拠略)によれば、訴外会社が、昭和五三年一二月天満労働基準監督署から最低賃金法違反について是正勧告を受けたことが認められる。

しかし、(一)で説示した事実及び証拠に照らせば、このような事実のみから同人の業務の遂行が同人の基礎疾患を自然的経過の程度を超えて増悪させて同人の左脳内出血を発症させた事実まで推認することはできず、ほかに右事実を認めるに足りる証拠はない。

5(ママ) 以上によれば、亡一水の左脳出血の発症と業務との間に相当因果関係が存在すると認めることはできない。

四  原告は、亡一水が、一人で勤務していたため、左脳内出血により倒れてからその発見が遅れ、適宜の救命措置が採られなかったため死亡に至ったのであるから、同人の業務と同人の死亡との間には相当因果関係がある旨主張するので検討する。

1  亡一水が左脳内出血で倒れてから発見されるまで、約八時間が経過したことは当事者間に争いがなく、前記の田尻俊一郎医師作成の意見書(〈証拠略〉)中には、発症後直ちに入院と適切な措置が採られれば、救命も可能であった旨の記載があり、(人証略)にも右記載に沿う供述部分がある。

2  しかし、(人証略)は、頭部CT検査の結果、亡一水が発症した際の出血が、多量で、その部位が脳の中心部に近い内包出血であることが判明しており、このような出血の量と部位に照らすと、発症後直ちに病院に収容され救命の措置が採られたとしても、死亡の結果を回避することは困難であった旨証言すること、右証言部分についてその医学的判断の前提となる出血の状況などの病状の把握やこれに基づく医学的な判断の過程について格別不合理な点があるとは認められないこと、同証人が亡一水の担当医として実際に同人の病院収容後死亡までその診療に当たったのに対し、田尻医師は診療録などを根拠に前記の意見を述べるものであることなどの点に照らすと、(証拠・人証略)によって、亡一水が左脳内出血の発症後発見が遅れ、適宜の救命措置が採られなかったため死亡に至ったものであるとの事実を認めるに足りず、ほかに右事実を認めるに足りる証拠はない。

したがって、その余の点を判断するまでもなく、原告の右主張は採用できない。

3  なお、原告は、亡一水が長時間冷たい土間に放置されたため肺炎を起こし、右肺炎が死亡の直接の原因又は死亡を早める原因となった旨も主張するようであり、(証拠・人証略)には右主張に沿う部分がある。

しかし、(人証略)は、亡一水を診断した際、同人の両肺野からラ音が聴取されたのは吐物を吸引したためであり、既に肺炎にり患していたとは考えなかった旨を証言しており、右証言内容に格別不合理な点が認められないこと、右高橋医師とともに亡一水を死亡まで診療した上江洲医師作成の意見書(〈証拠略〉)にも、同人の死因が脳内出血である旨の記載があること、同人の岸和田徳洲会病院における診療録(〈証拠略〉)中にも、担当医が診療の過程で原告主張のように亡一水が肺炎にり患していたと診断したことをうかがわせる記載も認められないこと、などの事実に照らすと、(証拠・人証略)は採用することができず、ほかに原告の右主張事実を認めるに足りる証拠はない。

五  以上によれば、亡一水の死亡と同人の業務との間に相当因果関係が存在すると認めることができないから、同人の死亡に業務起因性がないとしてされた被告の本件処分に違法はなく、原告の本訴請求は理由がない。

(裁判長裁判官 松山恒昭 裁判官 大竹たかし 裁判官 倉地康弘)

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